モノを持つことについて。

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モノを持つことについて。
Maya

こんにちは、Mayaです。

本日のブログは「モノを持つこと」について書いています。

5月になれば時間に余裕ができると思っていたのですが5月も半ばを過ぎてしまいました。

モヤモヤした気持ちを抱えたままでいたくなかったので、ブログにまとめてスッキリすることに。

楽しい話ではないかもしれませんが、「モノを持つこと」について考えるのに役立てれば幸いです。

Contents

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祖母の部屋の片付け

片付け

気分が滅入る片付けでした。

祖母が亡くなったのは約3年前。

亡くなる前から施設に入居していたために部屋は10年近く使用せず、そのままの状態。

電気代が高騰しているなか冷蔵庫は40年以上前のものが稼働したままでした。

風通しもしない状態で放置すればするほど後が大変になると思い、3月から片付けを始め、進行状況が思わしくないため強制撤去になり、ゴールデンウィーク過ぎになんとか完了しました。

祖母について

典型的なモノが捨てられない人、それが祖母です。

私はあまり祖母の記憶がないので詳しいことは分かりませんが、それでも片付けに入った部屋を見てそう思いました。

仕事をしている人だったから服やバッグがたくさんある、と言うのも分かりますが、それでもあの量を見たらモノに執着して手放せない人だったと判断するしかない。

Maya

モノを持つことで満たされる人だった?

晩年は通販で色々なモノを買い込んでいた、と言う話も聞きました。

部屋の間取り

祖母の部屋は玄関から入って6畳部屋(畳)が2部屋続きになっていて、奥にキッチン、洗面所、お風呂でした。

祖父は私が生まれるかなり前に亡くなったとのことでずっとひとり暮らし。

私の部屋よりも広く、ひとり暮らしには十分な広さだったはずですが、タンスや棚にその部屋に引っ越してきたまま開封されていない段ボール箱もあり部屋は狭く、重苦しい感じでした。

祖母の部屋のゴミ

汚部屋

結果から言うと3トントラック4台分のゴミを処分しました。

父の意向(祖母は父の母です)で使えるとか勿体無い、思い出とかで処分できなかったモノがありそれを処分していたら確実にもう1台分はあったと思います。

このトラックは片付けの業者のトラック。

ゴミの多さと不用品の撤去を自分たちでするのは厳しいと判断しお願いすることにしました。

仕事もあるので祖母の家に行って片付けすることを考えたらお金を出してでもさっさと終わらせたほうが良いと思ったからです。

服と食器

服と食器

部屋のゴミは先に述べたように服が多く、次に食器。

服は3、4つあったタンスと押し入れの中と外の衣装ケースに押し込まれ、それと一緒にバッグや財布。

バッグなんて50個ぐらいあったんじゃないのかと思うぐらいゴミ袋に詰めたし、財布だって箱に入れたまま何個処分したか分かりません。

Maya

奥にしまいこんだ服もバッグも絶対使ってないし、忘れてるよね。

食器も本当にたくさんあり、鍋もお盆も一体どれだけあるの?と言いたくなるぐらいひとり暮らしにしてはありえない量でした。

片付けとゴミの処分をお願いした業者からグラスは50個あったと聞かされ、さらに大量の食器から「居酒屋の片付け」をしているみたいだと言われました。

貰い物・箱・紙

恐ろしかったのが、押し入れに隙間なく詰め込まれた箱や封筒。

まるでテトリスのように奥までぎっしり詰め込まれた箱は開けてみると、貰ったままの新品未使用のタオル。

マトリョーシカのように箱の中に箱、箱、箱。

箱が入らない隙間に詰められた封筒の中には裏が白紙の広告。それもたくさん出てきました。

とりあえずなんでも取って置く性格だったんでしょうね。

祖母を悪く言うわけではないのですが、どう見てもゴミにしか見えないものしかない。

大量に溜め込んだ新品未使用のタオルも使わなければ意味がないし、貰い物だからそれなりに質は良いモノだと思うのに、結局使っていたのは粗品のタオルみたいでした。

家具

タンスや棚、座椅子などの家具がひとり暮らしとは思えないほどあり、モノが捨てられずしまえなくなるから収納家具を新たに買い、押し込んでモノをしまう。

そんな印象を受けました。

モノを決して捨てることをしない。

どんどんモノが増えていき、家具や棚が増えていき、部屋が狭くなっていく悪循環。

私が片付けに部屋に入った時、すでに片付け始めていたのでゴミ袋などあったのですが、どうやって生活していたんだろうと思えるほどモノに溢れて生活スペースはない状態でした。

片付けを終えて

綺麗な部屋

正直、祖母の部屋の片付けをして今でもそれが良かったのか分かりません。

片付けしないままだったのは父も祖母と同じようにモノが捨てられない人で、不要なモノでも処分することを良いとは思っていなかったからです。

片付けを強制的に行ったのもそれが理由の1つです。

それでもいつかは片付けなければいけないし、放っておけば家も傷むし、モノを処分するために今はお金が必要でその金額も増えてきています。(昔はモノを引き取ってもらってお金をもらうこともあった、と聞きました)

先延ばしにするメリットってありません。

片付けのことを考えている人生なんて無駄としか言いようがないんです。

大切なモノ・必要なモノ

私は祖母の部屋の片付けが終わってから改めて自分の家、持ちモノについて考えるようになりました。

処分に困るモノは早めに手放す。

そして自分にとって大切なモノ・必要なモノを改めて考えてみました。

大切なモノ

私が大切なモノ、大切にしたいモノは何なのか。

  • 心地よい暮らし
  • 自分らしくいること
  • やりたいことをやる
  • 胸を張れる自分でいること
  • 健康
  • 大切にしたい人

精神面を充実させることを大切にし、自分が幸せだと感じることや成長できることをする。

そしてそれを叶えるために健康でいること。

大切にしたい人は私の人生に良い刺激を与えてくれる人たちです。

その人たちを大切にしたいし、大切にされていることを大切にしたいと思っています。

必要なモノ

必要なモノって感情的なモノもあれば生活必需品なモノがあると思います。

スマホは生活に必要、パソコンはブログや勉強に使用する。

かなでもののテーブルは食事に作業に使うし、ベッドは上質な睡眠のために必要。

好きなアーティストのCDは思い出がある、でも今回少し手放せるCDが出てきた。

観たいと思って録画した映画や続きが気になってレンタルした漫画などは実際あまり必要ではなかった。

生活の一つ一つを見直してみると今まで必要と感じていたモノがそうでもなかったり、反対に必要なモノになっていたり。

モノとの関係性は日々変わっている

必要なモノを「これ」と決めるよりもそのモノが自分に与えてくれることを理解しておくことが大事だと思いました。

まとめ 〜言いたかったこと〜

私が今回のブログで1番言いたかったことは

Maya

モノを持つことが怖い。

ということです。

簡単に処分できるモノなら良いのですが、家具類の処分は本当に大変。

服も数枚なら良いですが、今回処分した枚数は本当に無理です。数える暇も労力もなかったのではっきりした数は分かりませんが、100枚以上あったと思います。

業者に持って帰ってもらえなかった量のゴミはゴミステーションまで捨てに行きました。

片手に1つずつ持って12往復。約40分間休むことなく・・・。
(車に乗せるのがイヤだったので歩きました)

あまりの重たさに首から肩、腕が筋肉痛。

先月読んだ、しぶさんの「手放す練習 ムダに消耗しない取捨選択」の本にあった出口戦略を考えてモノを増やすということがどれだけ大事か改めて感じました。

そして手放すことはお金がかかる

お金

モノを買うことにお金が必要なのはもちろん、今の時代はモノを捨てることにもお金が必要になります。

分別してゴミを出さなければいけないし、ゴミ問題は世界的問題でもあるのでますます捨て難い、お金がかかる状況になっていくと思います。

モノを持つことは悪いことではないですが、必要以上に持ち過ぎることは良くないことです。

今回祖母の部屋の片付けを行なって本当にモノを持つことが怖くなり、買い物をする際も今まで以上に考えるようになりました。

そしてミニマルな暮らし、ミニマリストでありたい気持ち強くなっています。

最後まで読んでいただきありがとうございました!

参加しています!

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